後悔しない生き方

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これは、今年11月3日に二松学舎の同期会(秀葉会)の会合が市ヶ谷であった際に出席者に配った私からのメッセージであった。

中味の内容は要約すると道草、脇道に入り寄り道だらけの人生を歩んできたと述べている。それは、小1時の大病で3ヶ月入院したことから端を発し小学生の頃はスポーツ音痴から始まったのが今までの私を作るきっかけと述べている。

小3まであらゆるスポーツが禁止されたことから父親は小1から終戦までは敵の言語である「英語学習」を私に強要した。

具体的には午前中6時に私を叩き起こすとNHKラジオの「基礎英語」を一緒に学び始めたのだった。今でこそ小学校の英語学習は当たり前だが、今から65年以上前のことである。

まあ、そんなエピソードがあるくらいスポーツを禁止されていた私は学業にのめり込み始めた。いわゆる、「代償行為」というやつである。

そんな小学低学年時代なので教師からも目をつけられていた。他人と同じような行動を取らないことを通知表に「協調性なし」とコメントされ続けられたのである。

しかし、小3の近藤柱石先生だけは独自性を発揮するには「時間の有効活用」と「幅広い読書」を勧められ、父親に自由に本が買えるよう助言されたのである。

その後、町の七森書店に行くと署名さえすれば「好きな本」が好きなだけ買える環境となり、今も読書が一番心が安らぐのはそのお陰である。

(中略)

中学生になると体力も回復してきていて「スポーツ」に目がいくようになる。バスケ部に入部し真面目に練習に励む。しかし、小学時代に体を動かすことでスポーツ神経を養ってない私はへたくそである。

しかし、そこに体育教師の井手嘉徳先生という救世主が現れた。バスケの練習を観ていたのだろう真面目にやっている姿を見て師弟同行という助け舟をくださったのである。

具体的にはバスケの練習が終わると先生と2人でテニスをしたり、キャッチボールをしたり、グランドを一緒に走ったり、サッカーボールを蹴り合うなどだった。

その中から「長距離走」に向いている気がするとの助言があり、中2の時には町内一周駅伝の地区対抗の選手と出場できるようになり、小学生時代に劣等感は完全に払拭されたのだった。

真面目に努力を重ねたら一定レベル以上になれること(『成功体験」)を中学時代に体験できた私はその後高校時代、大学時代も自信を持って過ごすことができた。

さらには、民間企業の社員時代を経て、家内と結婚したため大学に戻って教職に就いた。しかし、それも早期に退職して今は塾の経営者をしているが、一番苦手だった「スポーツ」を克服できた恩恵は計り知れない。

そんな体験から「一日一生」をモットーにその一瞬を懸命に生きていけばその後も順調にいき後悔しない生き方ができると思う。

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