老化現象はある日突然怒るわけではない❗️❗️
- 2022.11.25
- その他
しかし、一般的には日頃から体に起きる些細な現象に気づかないだけであろうと私は考えている。
私は小1の時に肺湿潤という病に罹り3ヶ月も入院したため小3まで「運動」を医者に禁止されていた。
そのため、小学生時代は「運動音痴」に陥り皆んなからは仲間外れにされていたので、極端な「劣等感の塊」であった。
しかし、小学高学年から次第に体力が回復して中学生になると体育の先生の師弟同行もあり、約1年間様々なスポーツに親しんだお陰で急速に自信を回復していった。
そんな経験が功を奏したのか、大学生時代の4年間を除くとトヨタ時代はボウリングや軟式野球で汗を流していたし、教師になってからは加速度的にスポーツに親しむようになった。
鹿町中では「バレーボール」を、長崎北高式見分校では「ラグビー」「剣道」「ハンドボール(顧問兼監督)」までやり、長崎日大で定職に就くと更に加速度がついた。
当時の校長先生が私の高校時代3年間の校長先生でもあったことから先ず職員で構成されていた「走ろう会」への入会を勧められて即断即決で入会した。
顧問も高校生の合気道部、軟式テニス部男子、水泳部、中学校のバスケ部などを歴任した。
また、個人としては先ず前述した「走ろう会」の一員として11年連続で駅伝に出場したり、ロードレースに出たりもしたが、決して早い方ではなかった。
他にも軟式テニス、ボウリング、バスケ、ゴルフなどまるで小学生時代のうっぷんを晴らすかのように手当たり次第にチャレンジしていったが、これらも上手と言うレベルではなく、所謂下手の横好きというやつにすぎない。
しかし、50歳から始めた「ウオーキング」は私に合っていたようで最初は20kmや30kmの比較的短い「ウオーキング」大会に出ては順位を競う大会ではないのに、他人より早く(できたら一番)でゴールを目指して快感を覚えるようになっていった。
そして、58歳になった年に「佐世保島原105km」の24時間制限で順位と速さを競う「ウオークラリー」に初出場を果たし満身創痍だったが何とか73位、17時間17分で完歩することができた。
そこで翌年までに62kgと中高生時代の体重に減量に成功すると、順位も所要時間も大幅に更新して「上位常連」の仲間入りを果たすことができ、完璧に病み付きになってしまった。
それ以来、佐世保島原のウオークラリーに14回、飯塚武雄の100kmのウオークに5回、さらにはホノルルマラソンを7回、グアムマラソンを1回と出場して全てを完歩、完走してきたのである。
昔の私を知る人には考えきれない快挙or暴挙としか思えない現状なのである。
-
前の記事
私の各種同窓会、同期会回想‼️ 2022.08.09
-
次の記事
高齢者に広がる健康格差? 2022.09.19