私の「ロールモデル」は先駆者アスリートです
- 2022.06.01
- その他
一番最初にモデルにしたのは、山岳スキーヤーだった三浦敬三さんでした。2002年のことで、当時まだ54歳でした。
それより前の48歳、49歳の2度に亘る肺疾患に見舞われたことがきっかけになり、意を決して歩き始めました。その時はまだ本気ではなかったように思います。
この三浦敬三さんの本に書いてあったトレーニング内容をそのまま再現したり、食事内容を真似してみました。
食事内容にはさほど驚きませんで左ひたが、当時98歳の三浦さんにできることが54歳の私にできなかったのはショックでした。
それから本気になって様々なトレーニング本を買って勉強するようになったと記憶しています。
メタボ体質から脱却して30代の走っていた時の体力が戻り始めると九州各地で開かれていた「ウオーキング大会」に出場しては上位でゴールするようになりました。
そういう各種ウオーキング大会に出ているうちに「佐世保島原の105km」の距離で速さと順位を争うウオークラリーがあることをどなたから聞き及びました。
そして、58歳の年に初出場しました。当時は体重がまだ77kgもあったため、77位17時間17分のゴールでほろ苦いデビューとなりました。
書籍類から入るのは何時もの私流なのですが、次に影響を受け今も交流が続いているロールモデルと言うより「メンター」なのは、現明治大学競走部監督の園原健弘氏です。因みに園原氏は「バルセロナオリンピック50km競歩日本代表選手」だった方です。
この本を買ったのは2008年12月でしたが、そんなアスリートの方に私はダメもとで個人レッスンのお願いをしましたが、気軽に応じて頂き、2009年6月に丸の内公園で正しい歩き方のレクチャーを受けました。
それがご縁で園原氏(普段は「そのちゃん」「クロちゃん」の愛称で呼び合う仲です)が主宰されは「ホノルルマラソンツアー」に地方からの参加者はわしだけですが、通算6回もご一緒しました。
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