私がデジタルに出会までの経過、利用初めた動機

私がデジタルに出会までの経過、利用初めた動機

大学時代に東京理科大卒の友人榎木さんが前に勤めていた会社を辞めて千代田純薬という会社を始めた。その会社の取引先とやりとりをするのに英語を得意としていた私に英文・和文の翻訳アルバイトの話が舞い込んだ。

それを効率よくやるのに中国語をやる者としては珍しく「英文タイプライター」利用を思い付き、日本語から英語にするときはタイプライターで書類書きで効率を上げていた。

それから数年が経ち、30歳代でめでた(正教諭)になったが、その職種が新設されることになった明倫館の寮監長だったことから様々なルール作りが最初の仕事となった。

当時はアナログ全盛期で館長に書類(主に寮則)を出すと何度も書き直しを指示された。大体10回ぐらいは書き直すことが多かったように思う。

これをなんとか楽にする方法はないかと考えていたら、その前年に取り組んでいた「漢字統一テスト」の電算処理でオフコンを利用した経験からパソコン利用を思いついた。

それに期を一にして東芝からパソコンが売り出されていた。しかし、営業所で価格を尋ねたら200万円と言われて断念した。さらに調べてみたら、NECから「文豪ミニ」というワープロ専用機が20万円で売り出されていたので迷うことなく買い求めた。

それからは前述した文書作成の仕事はとても楽になり何度でもいらっしゃいというくらい快調になったのは言うまでもない。

それに味をしめた私は当然のごとく成績処理の表計算ソフト、ワープロ専用機からノートパソコンと学内でも理科教員、商業科教員と互角に使えるレベルに達していった。

さらに長崎日大中ができると〇〇推進委員にも任命されてITリテラシーは加速度を増していく。

しかし、所詮組織の一員では限界があり、インターネット利用、Twitter利用、HPなどにたどり着いたのは長崎日大を退職して自塾の経営者になった後になる。

まあ、いずれにしても長崎日大での前述したような体験がなければ団塊の世代走りの私が人より早くに洗礼を受けることはなかったのは確かである。そうういう意味からも長崎日大には感謝している。

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