人の振り観て我が振り直せ(P2)

人の振り観て我が振り直せ(P2)

「人の振り観て我が振り直せ(父親編)」

前置き

私の月一断食生活は今から8年前に始めて今年で9年目です。

それ以前はダイエット目的で朝食抜きの生活をしたり、不定期で断食をしたりしていました。

そして、来月でついに100回目を迎えますが、今はダイエットよりファスティングが目的でやっています。

本論

そもそも、普通こんなことを習慣化する人はごく少数派に属するだろうと思います。

でも私の場合は、自身の既往症やメタボから派生した肺疾患、そして幼少期の長男病気、そして今回の父親の闘病生活などの苦々しい経験が土台にあったのです。

私の父は田平町役場(助役)を60歳で定年退職しました。その後、田平町社会福祉協会の理事長を数年やっていました。

その間取得した行政書士免許を下に「黒瀬行政書士事務所」を役場近くに設立して役場の下請けみたいな仕事で生計を立てていました。

しかし、70歳だったと思いますが、「尿道結石」が悪化して町内病院の紹介で福岡舞鶴の浜の町病院に転院しました。

一旦、回復して現場復帰しましたが、4年後に椎間板ヘルニアを発症して浜の町病院に再入院したのです。

その際、私はセカンドオピニオンとして別の総合病院で総合再検査を勧めましたが、本人が最初診てもらった先生のいる浜の町病院に拘ったため説得を諦めました。

一旦回復したかに見えた症状はその2年後に再発してその際は主治医から「膵臓癌」と言われ、満76歳で帰らぬ人になりました。

父は役場に入所した時の職責が収入役だったため酒席などの多い日常でした。

また、自宅にも若手職員や行政に絡む関係者を呼んで酒宴をしては仕事の円滑に役立てていたようでした。

しかし、少ない休みの日には趣味の畑仕事や野良仕事はしていましたが、スポーツをやっていたのは見たことはありませんし、だからと言って食べ物のバランスは考えても制限などする努力はしていませんでした。

結論

だから父が病気を発症したのは、前述した有酸素運動をしなかったこと、食べ物の中身を精査しなかったことが最初の病気を発症したそもそもの原因だったのです。

その前段

父親が60代後半でまだピンピンしていたの時でしたが、私は長崎日大の明倫館の寮監(30歳)として立ち場上時間帯に合う行動を指導するのですが、正反対な言動を観て驚いたものです。

寮生活を具に観察していく中で発見したのが「極端な食べ物」の相違だったのでした。

「食べ物」が原因で人柄、性格まで変わった生徒を観るにつけ、私の仮説が正しいかどうか確かめるため書籍を探しました。

菅原明子氏の書籍の中に「白砂糖(糖質)」が原因で人柄や性格まで変わることに言及していました。

そのことがきっかけで医学、栄養学、医療関係の研究を本格化して、父親の死でさらに加速していくことになりました。

追記

それが今に繋がっている次第です。私は今年父親が癌を発症した年代となりましたが、まだまだ元気でピンピンしています。

それどころか、「人生百年時代の行動戦略」というテーマで「Kochan流Life Style ナビ」というブログで後世の方たちに役立つ情報を発信していきたいと夢が膨らんでいます。

乞うご期待。カミングスーンです❣️

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